製薬業界の規制と市場に対応する
学習の目的
この単元を完了すると、次のことができるようになります。
- 主要市場における医薬品規制の概要と、企業の承認戦略に与える影響を説明する。
- 地域によって医薬品の価格設定と償還 (費用負担のしくみ) がどのように異なるのかを説明する。
- 製薬会社が用いる商業戦略を特定する。
1 つの医薬品と数多くの市場
製薬ビジネスは、まさにグローバルです。たとえば、ある医薬品がドイツの研究所で発見され、欧州とアジア各地で臨床試験が行われた後、米国の規制当局に承認されることがあります。その後、同じ医薬品がインドで製造され、最終的に数十か国で販売されることもあります。そして国や地域ごとに、独自のルール、医療インフラ、市場動向があります。
これは、製薬会社にとっては、1 つのやり方がすべてに通用するわけではないことを意味します。医薬品を研究室から患者に届けるには、世界各国の複雑な規制を乗り越え、それぞれの市場に合わせて商業戦略を調整する必要があります。
この単元では、製薬会社が世界中の患者に医薬品を届ける方法について、次の 2 つの大きな課題に焦点を当てながら学びます。
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規制上の承認経路: さまざまな地域で医薬品がどのように承認されるか
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市場アクセス: さまざまな医療システムで、医薬品の価格がどのように設定され、どのように支払われ、どのように届けられるか
世界の規制上の承認経路
どの規制当局も医薬品の安全性と有効性を確保する役割を担っていますが、その方法は異なります。多くの製薬会社は複数の規制当局を念頭に置いて開発を計画しますが、承認を得るには、それぞれに対して個別に申請し、現地に合わせた対応を行う必要があります。
タブを展開して、主要市場の規制フレームワークを確認してください。
この規制の複雑さに対応するために、製薬会社は現地の専門家を採用し、規制当局と早い段階から連携して、リスクを減らすために試験計画を調整しています。規制当局どうしの連携も進んでいます。FDA と EMA は査察報告書を共有しており、作業の重複を避けるのに役立っています。
それでも、まだ国や地域による違いは残っています。ある医薬品が米国では承認されても、データの解釈の違いによって欧州では審査が進まないことがあります。そのため、規制戦略はグローバルな成功の中核となります。
価格設定と償還
医薬品の承認を得ることは、出発点にすぎません。次に課題となるのが市場アクセスです。つまり、その医薬品が実際に患者に届き、事業として成り立つように、価格設定と償還 (費用負担のしくみ) を整える必要があります。当然ながら、価格モデルや償還戦略は地域によって異なります。

では、いくつかの地域を比較してみましょう。
米国
米国は、大規模な市場の中では、ほとんどの医薬品について政府による価格統制がなく、支払者も単一ではないという点で独特です。FDA の承認後、製薬会社はその医薬品の定価を自由に設定できます。「この医薬品の価格は X ドルであるべき」と定める政府機関は存在しません。
その代わりに、米国では民間の保険会社、薬剤給付管理会社 (PBM)、公的プログラムが複雑に絡み合っています。通常、製薬会社は定価を発表したうえで、保険プランや PBM と値引きやリベートについて交渉します。このようにして、製薬会社はフォーミュラリで優先的に収載されることを目指します。このモジュールの最初の単元で学んだように、フォーミュラリとは保険プランなどで補償対象となる処方薬の一覧です。メディケアやメディケイドといった公的医療保障プログラムは、値引きを交渉する力がある程度限られています。米国の制度の実情として、医薬品の価格はほかの国々よりもかなり高くなる傾向があります
米国モデルを支持する人々は、高い価格がイノベーションを後押しし、将来の研究開発を支える資金源になると主張します。一方、批判する人々は、このモデルでは患者にとって医薬品を手頃な価格で入手しにくくなると指摘しています。重要なのは、米国では製薬会社が需要を高めるためのマーケティングにも多額の費用を投じていることです。フォーミュラリに収載されている医薬品であれば、費用の大部分は保険で賄われるため、自己負担は比較的少なくて済みます。その医薬品が保険の補償対象にならなければ、通常は広く使われません。そのため、企業はフォーミュラリへの収載に力を入れます。
欧州
欧州では、EMA の承認を得ても、それは最初のステップにすぎません。各国には、医療技術評価 (HTA) を実施して価格と補償を決定する、国または地域の医療システムがあります。
多くの欧州諸国では、何らかの形の参照価格制度が採用されており、ほかの国の価格を基準として参照します。欧州で販売を開始する製薬会社は、通常、こうした支払者の要件を満たすために、米国より低い価格を提示します。また、その企業が新薬が現在の標準治療より優れていることを示せなければ、制度によっては追加費用が認められない場合もあります。一般に、欧州では支払者の価格交渉力が強いため、医薬品の価格は低くなりますが、その一方で、利用可能になるまでに時間がかかったり、選択肢が少なくなったりすることもあります。
日本
日本の制度では、通常、承認後すぐに全国一律の薬価が設定されます。政府は企業と価格交渉を行い、その際には米国や EU の価格を参考にすることがよくあります。さらに、日本の国民所得水準のような広範な経済指標や、その医薬品の治療上の価値に基づいて価格を調整します。いったん価格が決まると、その価格が日本市場におけるすべての販売に適用される薬価となります。
ただし、日本には医療費を抑えるために定期的に薬価を引き下げる制度があります。政府は 2 年ごとに市場データに基づいて薬価を改定し、通常は引き下げます。こうした 2 年ごとの引き下げは、これまで事業計画を立てにくくしてきました。日本ではこの課題に対応するため、革新的な医薬品に対して薬価維持プレミアムを設ける取り組みも行われています。つまり、イノベーションの基準を満たせば、一定期間は薬価が引き下げられません。
中国と新興市場
中国は承認の迅速化を進めている一方で、価格設定の面では難しい市場です。政府は、一元的な一括調達プログラムのような施策を導入して、多くの医薬品の価格を大幅に引き下げています。中国で国家医療保険償還医薬品リスト (NRDL) に収載されるには、企業は大幅な値引きを求められることがよくあります。
そのほかの多くの新興市場でも支払い能力は低いため、企業は段階的価格設定を用いたり、現地メーカーとのライセンス契約によって、より手ごろな価格の医薬品を製造したりすることがあります。たとえば、世界的な保健危機の際や HIV のようなパンデミックに対応する場面では、製薬会社が、裕福な市場では高い価格を維持しながら、貧しい国々ではジェネリック医薬品のライセンスを認めたこともありました。重要な医薬品やワクチンについては、国際機関が介入して、低所得国向けの資金提供や、より有利な価格交渉を行うこともあります。
グローバルな商業戦略
規制や市場の違いを踏まえ、製薬会社はグローバル展開をどのように進めているのでしょうか。ここでは、一般的な戦略アプローチをいくつか見ていきましょう。
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段階的な展開: まず米国や EU で開始し、その後ほかの地域に拡大する企業もあります。一方で、世界的な提供開始を早めるために、主要地域で同時に規制当局へ申請する企業もあります。
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ターゲット製品プロファイル: 医薬品は、それぞれの市場の患者に合わせた投与システム、製品プロファイル、包装で販売されることが多く、各地域の償還モデルにも適合するように設計されます。つまり、製薬会社が同じ製品、同じ含有量、同じ用量、同じ包装をすべての市場でそのまま使えることは、ほとんどありません。
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現地パートナーシップ: 製薬会社がなじみの薄い市場では、流通、規制対応、文化に関する専門知識を持つ現地企業に権利をライセンスすることがよくあります。
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市場ごとの価格設定: 価格は、市場ごとの所得水準や支払者の想定を反映して調整されます。一般に、欧州の価格は米国より低く、新興市場ではさらに低くなります。
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市場に合わせたマーケティング: 米国では、消費者向けの直接広告と医師への働きかけが中心です。欧州や日本では、医療提供者や支払者に対する医学的・科学的な情報提供に重点が置かれます。
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サプライチェーンの拡大: グローバル展開では、複数の大陸で同時に医薬品の供給を確保する必要があります。そのためには、製造能力を拡大し、地域ごとに流通拠点を整備する必要が生じることがよくあります。
要するに、市場に合わせた商業戦略とは、製薬会社が世界全体を 1 つの均一な市場として扱わないということです。地域ごとに分けて、それぞれの規制、経済、医療提供体制を考慮します。
ここで Alvin の鎮痛薬の例をもう一度見てみましょう。この薬は米国で開発され、FDA の承認を受けてから高い定価で市場に投入され、その後、保険会社との間で補償条件の交渉が行われます。
- この薬を開発した会社は、欧州では EMA の承認を目指し、その後は国ごとに交渉します。英国では、有利な価格設定を認めてもらうために、この新薬が従来のジェネリック医薬品より優れていることを示す必要があります。
- 日本では、追加の国内試験を実施して承認を得た後で、やや低い価格で全国展開します。また、2 年ごとの薬価改定制度により、2 年以内に薬価が下がる可能性が高いことも見込んでいます。
- 中国では、現地の製薬会社と提携し、NRDL に収載されるために価格を大幅に引き下げ、多く販売することで収益を確保します。
このように、化学的にはまったく同じ医薬品であっても、地域ごとに異なる商業戦略が用いられます。
グローバルな製薬戦略では、科学的な妥当性、規制への対応、価格面での圧力、そして各地域の実情のあいだでバランスを取ることが求められます。複数の国の患者に医薬品を届けるには、正確さと柔軟性の両方が求められます。次の単元では、デジタルツール、AI、グローバルヘルスの動向が今後のあり方をどのように変えていくのかを見ていきます。